「この調書を見る限りでは、どう見ても黒幕は老論だ。
10年前にはそのことを明るみにしなかたのに、なぜ今になって俺に見せようと思ったんだ?」
ジェシンの問いに、紙巻に視線を落としていたグンスの表情が沈み、その重い口を開いた。
「……10年前、あの暴行事件の黒幕が老論だということは、程なく調べが着いた。
関わった漢城府の役人は消されたが、それこそが計画が失敗に終わったとみる証拠となった。
老論は、キム・スンホンもヨンシンも消すつもりでいたのだろう。
その後も何度も命を狙われたが、王様の計らいで成均館にも有能な武官を配置し、奴らの思い通りにはならなかった」
グンスは遠い眼をして、過去の記憶を呼び起こしていた。
「だが、こちらもこの件をそれ以上追求しなかった。
そう強く望んだのは、他でもないキム・スンホン自身だ。
スンホンは、当時絶大な勢力を備えた老論を追求して内乱となり、王様のお命にまで係わることを危惧したのだ。
王様は、金縢之詞(クムドゥンジサ)が失われたことによって、打倒老論を追求する大義名分を失くされた。
そして、スンホンが引責してお傍から去ったことを、酷く落胆されていた……」
「だが、ここへきて10年前の件を蒸し返そうという輩が現れた。
まだ、事件は終わっていなかったのだ」
グンスに代わり、ヨンシンがやや熱のこもった話を続ける。
「今はまだ、推測に過ぎない。
ただ、何者かの命により、王宮に忍び込んだ間者がいる。
おそらくは、以前お前たちが王様にご報告した特定商人の裏帳簿も、その者らの手によって、王宮から持ち去られたのだろう」
「……何者か?」
「その一人が、パク・ヨンジェだ。
パク・ヨンジェは、実家が薬商家と偽り、王宮に薬師として出入りしていた。
お前が睨んだように、司憲府もパク・ヨンジェが青壁書と結論付けたが……」
ジェシンは、雲を掴むような話に、胸やけでもするような不快感を覚えた。
10年前の事件と、王宮に忍び込む間者……、そして青壁書の深意とのつながりが掴めない。
だが、この膨大な10年前の調書から、何かしら手掛かりが見つかるかもしれない。
調書の一つ一つが、ヨンハが苦労して調べ上げたことを裏付けている。
ジェシンは、己の浅はかさにも身が縮む思いだった。
あの事件以来、自分はどこかで、その体が不自由になった兄を憐れみ、運命をあっさりと受け入れていると思っていた父も軽蔑していた。
だが二人は、何も諦めてなどいなかった。
こうして虎視眈々と、いつの日か復讐を果たさんと、力を蓄えていたのだ。
―――その時、ジェシンは急に妙な気配を感じ、身を逆立てた。
すかさず部屋の戸を開けて外をのぞくと、廊下の角を男が走り去るところだった。
咄嗟に追いかけようとするジェシンの腕を、ヨンシンが荒く掴んだ。
「追わなくていい」
「なぜだ!
会話を聞かれたかもしれない。
それに、あいつは―――」
走り去った男は、ヨンシンに仕えていた下男だった。
以前、ヨンシンが暴漢に襲われたとき、震えて何もできなかったのを、ジェシンが咎めた男だ。
ヨンシンが合図を送ると、どこから音もなく、笠を目深に被った黒い長衣を纏った男が現れた。
以前、偽青壁書と対峙した時に、ジェシンを逃がすために現れた男だ。
ヨンシンが耳にささやくと、屈強な男はすぐさま走り去った。
「私もこの10年、自分の身に起きたことの不幸を嘆いていたばかりではない。
この身が不自由であっても、手足の代わりとなる者はいくらでもいる。
私は、自らができうることをやるのみだ。
あの下男は、1年ほど前から仕えてくれていた。
もちろん、最初から何者かとつながりのある男だということはわかっていた。
おそらくだが……あの男の行き先も、ある程度予想がついている」
ジェシンが呆然としていると、ヨンシンは普段と変わらぬ笑みを浮かべた。
。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。兵曹判書ハン・ウギュの屋敷は、北村の広い敷地に、贅を見せつける様にそそり建っていた。
ハン家は、元々は貧しい地方役人に過ぎない一家だが、ウギュが一代で盛り立てたといっても過言ではなかった。
人脈や情勢を読む抜け目のなさで、着々と権力と財力を備え、兵曹判書にまで上りつめたのだ。
成り上がり者と揶揄する者もいる。
だがその声も、力を増せば増すほど、小さくなっていく。
所詮、最後には、力がある者が勝つのだ。
ウギュは、自らの人生をそう結論付けていた。
そのウギュの屋敷に、派手な身なりの男が出入りするようになって久しい。
ユン・ヒョング―――
清製だという紅の笠の下で、信用ならない卑下た笑みを浮かべる。
本来なら、屋敷に上げることすら躊躇われる男だが、この男の持ってきた話には、旨味を感じたのだ。
「お前の話が正しければ、金縢之詞は未だ存在すると……」
ヒョングは、出された酒を遠慮も知らずに、次々と口を付けた。
そして、歪んだ笑みを浮かべた拍子に、顎にまで垂れた酒を袖で拭った。
「大監……
なぜ青壁書の挑発に躍起になって、再びその行方を追おうというのです。
あの晩、金縢之詞を手に入れたはずでしょう?」
「まぁ……それは、その通りだが……」
曖昧に答えながら、酒に手を伸ばすウギュの顔を、ヒョングは下から覗き見る。
ウギュは、眉を顰めながら、毅然と姿勢を正した。
「もし、大監が確実に金縢之詞を葬ったとするなら、自ら兵を率いて青壁書を追うこともないでしょう。
本当は、確信がないのでは?
あの晩、手にしたものが、本当に金縢之詞だったのかどうか」
「馬鹿な!!
あの晩、確かにこの手に入れたのだ!
そして、書簡入れごと燃やし、跡形もなく消えた……」
だが、力の籠った言葉とは裏腹に、ヒョングの前に、その狼狽える様を晒した。
ヒョングは、面白い物でも見るように、肩を揺らした。
丁度、その時、外から男の呼び声が響いた。
まるで屋敷の主のようにヒョングが合図をすると、静かに開いた戸から、ウギュの知らない男が入り、ヒョングに耳打ちをした。
目の前での会話なのに、内容が理解できなかったのは、男とヒョングが清の言葉で交わしたからだ。
ウギュは、憮然とその様子を眺めた。
「大監……
大監が確信を持てないでいる金縢之詞は、まだこの世に存在する。
そしておおむねその在処もわかってきました。
―――大監にとっても、朗報です」
「どういうことだ……??」
「苦労して捜した甲斐があったようです。
大監の策略で、あいつも深手を負いましたが……
その苦労も、今度は大監の働きで報いていただきましょう」
ウギュは、不敵なヒョングの笑みに、びくりと眉を動かした。
↓ 後記があります^^
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